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火水金 11:00〜16:00
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 ルーテル教会は、マルチン・ルターの宗教改革により生まれたキリスト教プロテスタント教会です。人は信仰のみにより神より義とされ、恵みのみ、信仰のみ、みことばのみという改革の精神を大切にします。日本福音ルーテル教会東教区は、首都圏から東北地区や甲信地区に及ぶ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、山梨県、長野県、宮城県に、福音宣教を展開しています。
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東教区 第12回宣教フォーラム 「開会礼拝」

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開会礼拝

司 式 北尾一郎牧師(大岡山教会)
説 教 栗原 茂牧師(東教区)
聖書朗読 楠 勝明(横須賀教会)
奏 楽 松浦 稔(大岡山教会)
アコライト 池谷 考史(神学生)
聖書朗読 コリントの信徒への手紙一 15章1節〜3節a(P320)

 

説 教  栗原 茂 牧師(東教区)

 10年ぶりに東教区の皆様方のこうした集会で冒頭に説教奉仕をする機会を与えてくださりありがとうございます。ご挨拶を申しあげたいのですが大切な時間ですので、すぐ開会説教のつとめを果たすことにしたいと思います。
テキストはパウロの手紙です。今日はこの後に主題講演が二つ用意されています。したがって開会礼拝では、そのテキストの冒頭の部分を取り上げました。 パウロはこの手紙を紀元53年のおそらく秋頃から55年の春頃にかけて書いていいます。
 で、彼は、この手紙を書く3年前に実は、手紙の宛先であるコリントにいました。彼は前後4回に及ぶ伝道旅行において、1年と半年あまり実際にコリントに滞在しており、最初の伝道の成果としてコリントの教会を作っていたのです。もっとも教会といいましても、ユダヤ教の向こうをはった「シナゴーグ」に相当する教会堂という建物が在るわけではありません。ごくありふれた一般の住宅を拠点にした教会、目立たない、人々が集まって初めて形をなすエクレシアとしての教会でした。
 そこで彼がどのような説教をしていたのか、彼の原稿が残っているわけではありませんが、単純に日曜日の数を数えると言った形で、今風にいいますとおよそ80回前後の説教をしたという風に想像してもいいかと思います。 あるいは現在訪れる当時のコリントの町は廃墟ですけれども、市場のフオーラムで人々に説教したパウロの姿を思い起こしながら聞いてください。

 彼はこういっています。

 兄弟達、私があなた方に告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなた方が受け入れ、生活のより所としている福音にほかなりません。どんな言葉で、私が福音を知らせたか、しっかり覚えていれば、ああなたがたは、この福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が無駄になってしまうでしょう。
もっとも大切なこととして、私があなた方に伝えたのは、私も受けたことです。


 四回もあたかも自明のこととして使われている福音とはなんですか?と皆様に問いたい。三年前にした説教を思い起こさせようとしている。皆さんは先週聴いた説教のことをしっかり覚えていますか。パウロは三年前に語ったことを《しっかり覚えていれば》その時に語った説教の中身によって、あなたは今も救われているはずだ。もしそうでなかったら信じたこと事態が無駄になると指摘しているのです。
 皆さんに質問します。いいですか。正直に答えてください。今週聞いた自分の教会での説教を思い出して、自分は豊かにされた。み言葉の解き明かしに大いに力付けられ、恵みを受けた、説教を聴いて非常に良かったと満足している人手を挙げてください。
良かったですね。手を上げることのできた人々に祝福を送ります。私がなぜ説教の中でこんなことを求めるか、それは受けたことが牧師によって、語られ、それを受け止めた信徒が喜びに包まれる、そこに、まさにパウロが指摘する福音の"いのち"が生きているからです。


 今、宣教は伸び悩んでいると聞きます。先日なぜ宣教が右肩下がりで下降しているのかPM21というのは、それらのことをいろいろ分析した上で打ち出された戦略だと聞きましたから、出戻りの私は、先日城南神奈川の合同牧師役員会で質問しました。
 宣教が振るわない原因の上から三つ、ビッグスリーは何なのですかと。
すると答えに立ち上がって説明くいださったのは大岡山教会のお二人の信徒の方でした。 第一に牧師の数が減った。第二に社会現象。そして第三には高齢化。だと説明をうけました。客観的に分析するとそういうことなのでしょう。うなずかないわけではありません。 
しかし10年ぶりに舞い戻ったわたしの感覚はあるいはずれているかとも思いますが、教会で牧師によって語られている「説教」の中身である「福音」は本当に豊かに解き明かされているのか。まず信徒の心に届いているか。また求道途上の教会を訪れた人々の心に本当に届いているかということを、やはりといたい。なぜなら、私はパウロがこの手紙の中で指摘していることは、一にも、二にも、三にも説教の中身がパウロがコリントを去った後も、コリントの信徒の心に深く届いていたかを問題にしていると解釈するからです。
 信徒は心から毎週教会で説教を聴く度にやはり教会来て良かった本当に良かったと会話をしていますか。日本の宣教は統計上はやはり洗礼を受ける人はいるわけですからクリスチャン人口は増加しているのですが。増えない。原因ははっきりしています。信仰生活の平均は2.8年なのです。皆さん信じられますか。洗礼を受けた"感動"とイエスに対する"服従"が教会生活としては3年持たないのです。なぜですか。10年ぶりに舞い戻ってきた人間です。おまえは何もよく分かっておらんと否定されるかもしれませんが、まあ聴いてください。統計上にこれほどはっきり出てくる数字の意味は、やはり毎週語られる牧師の説教の中身ではないのでしょうか。信徒は教職に遠慮する必要はありません。教職は昔から「教会は説教で立ちもし、倒れもする」といわれてきたことをパワーミッション21の根底においてすすめる必要があると思います。


 結びです。久々に皆様と会える、そして語り合える今日のフオーラムに私は大きな期待を寄せています。最初に送られて来たポスターには、こう書いてありました。心の底からあふれてでてくるものを群れの働きにと・・・・心の底からあふれてくるもの、もしそれが在るとすればやはり日曜日に、み言葉を通して聴いた説教に新しく力を与えられていなければウソでしょう。私達の力は福音 まさに、み言葉からしか与えられないのです。
 二番目のポスターは花火でした。主催者が何とかして火をつけたい燃やしたい聖霊の炎が燃えさかるように祈っている気持ちは伝わりました。しかし線香花火では困ります。つかのまは燃えても最後に"ぽとり"火種が落ちるようではかなわない。
 三番目に大海原をフリッパーがジャンプするポスターが届きました。よおく見るとどうもこれは親子でしょうか。真ん中がどうや子どもらしい。しっかりと父親と母親が次の世代である我が子をガードして勢いよくジャンプしている。 ジャンプするということは、説教によって力を得ていればこそ、この世へと力強く送りだされるわけでしょう。
 このジャンプする力は信徒に、あるいは教会に最初からプリッパーのように与えられているものではない。たとえばパウロに例をとってもガラテヤの教会は(ガラテヤ4:13カラ4)、彼が肉体の弱さ、つまり病気が原因でこの地方に予想外のことであったが長逗留したことが宣教のきっかけになっている。内陸部のこれらの地方はヘレニズム化がもっとも遅れた地方で、普通では伝道地としてはもっとも考えられない土地だった。
 マケドニアの場合はトロアスへの予定が、たった一人のマケドニア人の真剣な訴え幻の中で現れる。「マケドニアに渡って、つまりこちらに渡って、私たちを助けてください」という訴えの声を聞いたから、パウロがそれに答えるという形で始まっている。(使徒16:9)彼はネアポリス(カバラ)に渡っている。 パウロはこう言っている。
 これは彼らに福音を伝えるために、神が私たちをお招きになったのだと確信して直ちにマケドニアに渡っている。大切なことは統計上の数字をいじって何かを割り出すことも必要ですが、それ以上に、宣教のビッジョンは具体的な幻を見ること、そして、その体験が伴わないことは確信からほど遠く、人々の支持と理解を得られないのではないでしょうか。


 最後に、あるいは、この宣教のジャンプは、聖霊ないしはキリストご自身の霊によって妨げられて当初の変更を余儀なくさせられているケースも2回ある。
 フルギアの場合は(使徒16:6〜)、伝道の拠点として条件が優れている。幹線道路、交通の要所、エペソは人口25万、大都市,当時のギリシャの植民地はすべてエペソを中心に発展していた。ユダヤ人の数も少なくはなかった。にもかかわらず変更を余儀なくされている。
 ビテニアは小アジアの北西部、黒海にかける沿岸部ギリシャの植民都市があったし、彼らは、そこでも伝道の可能性を求めたようだが何らかの理由で変更を迫られている。
 今回の宣教フオーラム、テーマは"個々の恵みを群れの働きに"です。
牧師も、信徒もともに、受けたものを伝えるという福音の中身を明らかにしながら、生活のよりどころとしての一日にしたい。信じてきたものが無駄にならないように、豊かに祝福された日を過ごしましょう。

 祈ります。


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