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東教区 第12回宣教フォーラム 「グループによる話合い Aグループ」
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グループによる話合い Aグループ
司会:御厨 勝則
書記:花城裕一郎神学生 報告書作成:安達 均
出席者数:11名
今年もすばらしい宣教フォーラムにしてくださった、「私はある」とおっしゃって、いつもいっしょにいてくださる、三位一体なる神様をほめたたえます。今年の宣教フォーラムを企画して下さった委員の皆様と支えてくださった方々に感謝します。Aグループの司会をしてくださった、御厨さん、書記の花城神学生、たいへんありがとうございました。また、すべてのグループの感想をまとめ記録としてくださる藤野様に感謝します。では、以下、感想を述べさせていただきます。
人生最大の目的
洗礼を受けた方から「人生って神様に会うためにあったのだ。」と言われたという証に、心うたれる。まったくその通りなのだと思う。この世に生かされ、決断の自由を与えられた私たちの、最大の決断は、「洗礼を受けるか受けないか。」だと思う。そして、受けたとき、あとは、神様が導いてくださってゆく。しかし、そこに、エゴが入りこむと、信仰も寄り道をしてしまうのでしょう。
平均3年の信仰生活
「教会生活は平均で3年に満たない。」開会礼拝で出たショッキングな話が、グループでも話題となったが、しかし、洗礼を一度受けた者は、ルターによれば、どんな祭司が授けたものでも、神と子と聖霊の御名によって授けられた洗礼は有効であり、たとえ3年で教会から離れることがあっても、そんなに悪いことでは無いのかもしれない。一時的な、寄り道で、復活を信じ、主に祈りたい。
礼拝説教の大切さ?
礼拝に出席することが長続きしない理由に、説教が問題にされた。御言葉が、礼拝出席者に響かず、すぐに忘れてしまっているのが実際。そのような説教が問題なのか、あるいは聞く側に問題があるのか? いずれにしろ、このような状態では、日曜の礼拝後、教会から押し出され、次の礼拝に出席するまでの間に、他者に伝道してゆくなんていうことには程遠いのが現状としてあきらめるのか、いやそんなことはない。
礼拝の大切さ:犠牲の転換:礼拝のマスターはイエス
礼拝は説教だけではない。讃美はあり、月一回くらいではあるが、聖餐があり、日本の教会では、本当にたまにだが、洗礼はあり、そして、祈りや司式やアコライト、さらに礼拝の側面で受付、週報作成、そうじ等、いろいろな毎週の奉仕者があって、成り立っている。そういう話題の中、「十字架のイエスキリストは、犠牲を完全に逆転してくださった」との話に感動。「イエスキリスト以前は、犠牲は人間がささげるものだった。しかしイエスキリストは自らが犠牲となって、私たちは、その犠牲をいただいているのだ。」と話して下さった牧師に感謝。 聖餐は、イエスキリストの体と血をいただくこと。礼拝の奉仕者のマスターは、なんといっても十字架のイエスキリストご自身。
他者とのかかわり:実は神がレールをひいてくださっていた
他者、クリスチャンではない方とどう接するか。具体的にこうすれば良いということはなく、すべて神に導かれて行動する。それは、日曜の礼拝出席と日々の祈りにより、どう行動するかは、与えられるのでしょう。自分はこうして、こういうことを言って、なんとか自分が他者を説得しよう、という意図を持っても、信仰がなければうまく行くものではない。「未受洗者であった、ご主人とそして連なる方々が洗礼を受けていったのは、実は神がレールをひいてくださっていた。」と語られた証は、Aグループのまとめとなったように思う。
来年の宣教フォーラムに向けて
グループに分かれての話し合いは、そこには証、メッセージ、疑問、いろいろと挙がり、宣教フォーラムのハイライトのように思います。このようなすばらしい宣教フォーラムが来年もまた、主イエスキリストの導きにより、与えられますように。
当日報告用記録メモ
1、講演を聴いて
講師が、神から与えられた恵みを群れの働きにどのように生かすことができたと思うかあるいは実践していると思うかを話し合ってください。
・死に直面している人にはキリスト教は特に有意味である。(永遠の生命・死後の命)
・ホスピスはキリスト教に強い結びつきがある。「天国」のような雰囲気がただよう。
・医療の中でこそ、自分の力を超えたところで神とイエスとの出会いが生じやすいからであろう。
・ボランンティアは"自分から"というのと同時に"神から招かれている"もの。
・日曜の延長としての"月〜土"を考えねばと思った。
2、日々のご自分の生活の現場を踏まえて、他者に向って何ができるのか。
教会の中だけではなく、キリスト者の間だけでなく何ができるかを話し合ってください。
・仕事のeメールでも、最後のお祈りのようなものをつけている。
・キリスト教保育の中で、毎日を子供達への"あかし"のつもりで。
・「自分が頑張る」ということより、「神様がして下さる」という気持ちが大切だろう。
・日本文化との葛藤がある。その中で"祈り"がある。キリスト教は「これならこれ」という決まったものはない。それぞれが、それぞれに道を示される。
・cf「人生って神様に出会うためにあるんですね」
3、各分団での特に問題となった内容について書いてください。
結論もあれば、書いてください。
・家族に対する伝導はとても難しい。
・牧師にはアルバイトや他の仕事はして欲しくない。それでこそ、礼拝で力をいただける。
・【人間としていかに生きるか】が伝導の要だろう。「神はいるのか?」という嘆きの中で、「愛」にさらに引き寄せられる。とにかく受取ることが大切。受取った分だけ与えられる。「愛されるおとが多い者が多く愛する」
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