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東教区 第12回宣教フォーラム 「グループによる話合い Cグループ」
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グループによる話合い Cグループ
司会:加藤 逸雄
書記:市吉 伸行 報告書作成:宮澤 美紀江
出席者数:16名
私が宣教フォーラムの集いに参加するのは今回で7回目です。会場の大岡山教会には2回目ですが、まだ行ったことのない教会を訪ねることも参加する楽しみの一つです。私の三鷹教会はルーテル学院大学の礼拝堂を借りて毎週礼拝を行っています。建物としての教会を持たない珍しい教会です。学校内の一隅に集会場がありここで礼拝後や週日の集会をもっています。
今年もフォーラムに参加したわけの一つに特に担当もなく正直気軽に参加できるということがありました。私は今期東教区婦人会の役員でどちらかというと主催者側になって落ち着かないことが多いのですが,そのような心配がなく気軽に参加できたのです。ところが感想文の提出者を決める時横浜教会の角田先生が何気なくおっしゃった「司会者の前の人がいいでしょう」の一言で事態は一変しました。「君はこの集会のためにどれだけ担当者の人たちが大変な働きをされたか解っているのかね」と神様からのお叱りを受けたような気がしました。確かに参加して、担当者の方々の熱意とこの日のために何回も集まってくださったことは、会場の様子から感じることができました。
全体のプログラムに参加して今日のテーマ「個々のめぐみを群れの働きに」がどのような話し合いのなかから決まったのかの説明が参加者にもっとあったほうが良かったと思いました。それによって午後の話し合いの焦点が一人一人にもっと理解できたのではないでしょうか。礼拝、講演、分団等それぞれとても貴重なお話を伺いましたが、テーマと講演の関係が明確でなかったため、分団討議で話し合いを深めることが難しかったと思いました。
私たちのグループでは自己紹介をした時点でも、信徒としての週日の過ごし方、信徒が支える教会、信仰に基づく社会での生き方、キリストの十字架などそれぞれが日頃感じている発言がたくさんありました。分団の時間があと一時間あっても足りなかったでしょうが午前の講演を受けて、教会における信徒の働きについてまたリビングウィルについての意見交換もしたかったと思いました。
私は大柴先生のお話から「私たちは神からの光を浴びて人々にキリストの姿を映し出す存在である」ことを確認でき力を得ました。またキリスト者が少ないことを嘆かわしく思うより今も生きて働きたもう現臨のキリストに仕えることが心に残りました。
リビングウィルの小冊子は以前読みましたが岡安先生のお話を伺いもう一度読み直してみるつもりです。私自身この数年で自分の両親をふたり亡くしました。幸い激しい痛みや苦しみ、延命装置による長い時間との葛藤などは多くはありませんでしたが、次第に体力が衰え、話も出来なくなり自分の体さえ動かせずただ病院のベッドに横たえるだけの状態は少なからずありました。
しかしそのような状態の時でも手伝いに行く私自身が不思議と元気づけられ、逆に癒されて帰路に着いたことを忘れることは出来ません。
先日、新聞の記事で読んだシシリー・ソンダースさんの言葉「末期患者を、"死に逝く人"とひとくくりで見るのは大きな間違いです。人生の最後にあっても、患者さんはみな、一人ひとり独立した個人なのです。このことを絶対に忘れないで下さい」を思い出しました。
当日報告用記録メモ
1、講演を聴いて
講師が、神から与えられた恵みを群れの働きにどのように生かすことができたと思うかあるいは実践していると思うかを話し合ってください。
2、日々のご自分の生活の現場を踏まえて、他者に向って何ができるのか。
教会の中だけではなく、キリスト者の間だけでなく何ができるかを話し合ってください。
・Doing とBeing はどちらか片方で良いというものではない。
・「頑張らなくて良い」というのは心の安らぎとなるが、自己満足になる恐れもある。
・週日をdiasporaの教会の働きとしたい。自分は会社人生においても、平等と公正を実現しようとしてきた。
・基本は「自分が受けたことを伝える」ということ。
・個々の恵み(賜)が生かされている教会も多い。(武蔵野教会が良い例として紹介された。課題もあるが、信徒が自分達が教会を支えようとそれぞれのタラントを出し合っている)
3、各分団での特に問題となった内容について書いてください。
結論もあれば、書いてください。
4、講師への質問
・仏教は死・終末期についてどう考えられているか(一般の人には仏教は本当は根付いていないという説があるが、熱心な人は熱心である。クリスチャンと変わらない)
大柴先生からの回答
仏教には「輪廻転生」という考えがあります。すべての命は輪のようにつながっているという考えです。これはエコロジカルな意味でも現代においては重要な意味を持つ思想だと思います。『葉っぱのフレディ』などにも共通の思想が見られます。私見によれば、遠藤周作も『深い河』の中で、キリスト教の復活思想と仏教の輪廻転生思想との調和を試みたと思われます。仏教においては輪廻転生そのものは救いではありません。「悟り」を開いてそこから「解脱」することが求められています。未知なる死への不安や恐怖は万人が共通に持つものです。米国のホスピスなどでチャプレンは、すべてのクライエントに対してそのspiritual
needを満たすためのケアを提供してゆきます。個々の宗教の立場を超えたスピリチュアルな次元がそこには存在しています。そこに関わるためには、心をこめてその人の傍らに立つこと(Being)から始めます。それもまた一期一会ですね。
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